「仕掛け」が、まず無い。
乙一と言えば思いもよらないような結末とそれに至る動機の奇異さ。
言い回し、語彙力、文構成。
なのに。。。
身近な人物が実は犯人でしたというのはよくあることだ。
それは、いい。
だが、アイスクリーム工場の冷凍庫に保存する、というのは考えが足りない気がしてならない。
「かごめかごめ」も、作品の頭にわざわざ歌詞を書き記しているのもかかわらず
それ程の役割を担っていない。全く無駄なものに感じた。
結末に一気に解る謎の回答に迫る布石も、露骨だったように思う。
16歳の乙一はしつこい程に同じような言葉ばかり繰り返す。
例えば。
「朝はわたし以外のものの上にやって来て、わたし以外の皆は生きていた」
という文がある。
これと似たような文が作品中に何度か出てくる。
「「わたし」だけが死んでいる」という状況を何度も何度も再確認させるように。
「健くんと弥生ちゃんにも、溝に隠されたわたしの死体にも、そして夜の森で
泣きながらわたしを探しているお母さんにも夜の帳は降りてくる」
「夜はふけ、命のあるものは眠りにつく時間となった」
などなど。。。
言い回しも現在とは違い、幼稚であるように感じる。
「朝は何ごともないように、まるで何もなかったかのようにすぎていく」
とあるが、ここは現在の乙一ならもっと巧く言ったに違いないと思う。
だが、やはり乙一。
16歳にして既に天才と言われるだけはあると思った。
眼の付け所、登場人物の動かし方には賞賛に値するものを感じた。
文構成も現在ほどではないにしろ、その才知が現れていると思えるものだった。
「「優子」」
過去の彼は作品の頭に何かしら書きたかったのだろうか。
優子の頭にも「かごめかごめ」と同じように
作品を読ませるように誘うが如く文章を書いている。
そういう作風が気に入っていたのだろうか。。。
優子での「布石」は、巧みに仕掛けられていた。
「あ、かわいい・・・・・・。珍しいですね、猫の人形ですか?」
いくら天然だからと言って本物と偽者の猫を見間違うはずもない。
これは(主人公、清音)彼女が譫妄状態だという事実につながる布石だ。
何が真実でなにが偽りなのか。
その境目が曖昧なのが面白い。
人形と人間の区別ができず、「奥様」を焼き殺してしまう。
(「神の言葉」での「母」のサボテンと猫の区別ができないというのと似ている)
彼女には事実、人形にしか見えていなかったのだ。優子が。
自覚も、罪悪感も全くない殺人。それがいい。
ただ、終盤の政義の乱れようは、「違うな」と感じた。
ベラドンナと「鳥越家にやってきた女とその子供」。
この二つはとってつけたような感じがしてならない。
ベラドンナはいいとしよう。その所為で彼女は錯乱していた。
「これは因縁です」という政義の言葉と熱弁のし様。
。。。
乙一とはおもえない。
ショックを受けたのは事実だが、乙一のファンであることに変わりはない。
偉そうに批判をしているが、僕にはこれだけのものが書ける気はしない。
それだけは言っておこう。
この作品が好きな方、乙一のファンの皆様並びに乙一先生自身には、
大変迷惑で、辛辣な「論」であった事に謝罪したい。
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